当たり前と当たり前の間のあたり

 

新型コロナは”当たり前”をいろいろとぶっ壊してくれた。

僕たちは縫製工場を運営している。

そんな僕たちが現在ビジネスモデルを転換し洋服やエプロンやガウンを作ってお客様に直接販売しているのだけれど、

そのどれもが当たり前のようであって、当たり前じゃない。

自分で言うがこれは並々ならぬ努力の賜物なのだ(自分で言うな)

例えば縫製工場は基本的に”製造業”ではなく”加工業”に分類される。

この違いはいろいろあるんだろうけれどわかりやすく言えば原材料を自分たちで仕入れて販売しているのが”製造業”で元請けやお客様から原材料を支給されて技術や設備を使って加工のみを行なっているのが加工業である。

つまり縫製工場(加工業者)が商品をB2C向けに商品を販売するのは実はめちゃくちゃハードルが高い。

だって加工がメインにしているのだから自分たちで生地や資材を発注するノウハウも持っていない場合もある。

生地メーカーの名前やらは知っているが口座を持っていない、持っていたとしても取引実績が少なく生地のサンプルなどもあまり持っていないのだ。

他にも工場内にデザインをする人はもちろんいないし、工場の中にパタンナーがいない場合もある(というかほとんどいない)

もし仮にデザイナーがいて、パタンナーがいて生地を発注することができて、商品を製造することができたとする。

そしてどうする?

撮影、ネットショップ、集客、発送、集金

さまざまなハードルがある。

商品開発して、売る。

こんなにもシンプルであるこの行為が非常に難しいのである。

でも、

それでも、

僕たちは挑戦してきた、自分たちで作って売る。

それはやっぱりコロナ禍が大きな分かれ道になったから。

今までの当たり前が当たり前じゃなくなって、それでも守らなきゃいけない当たり前があると感じたからである。

僕たちが守らなくてはいけない当たり前

上でも述べたように、縫製工場を運営する僕たちがB2C向けに商材を開発して販売するなんてリスクしかなかった、しかしコロナ禍で百貨店や売り場は壊滅状態だったしそれに伴ってデザイナーズブランドも生産を控えているようだった。

MY HOME ATELIERという仕組みを運営して日本中の職人さんたちと服作りを行なっている僕たちはそんな売場の影響をもろに受けて一時は売上が前年対比95%減なんていう笑えない状態もあった。

僕たちの会社は毎年約1.5倍ずつくらい成長してきた、だから前年対比で減少に転じるなんてのは全く想像ができない世界だったのだ。

現金は毎月数百万円ずつ減っていく。

コロナ融資があったとしてもとても止血できるような状態ではなかった。

日本中、いや世界中で大変じゃない業界なんてないだろうなと思っていたが、ここは大きな分かれ道になるだろうと本能的に思った。

このまま流されていいのだろうか?耐えるだけで耐えられるだろうか。

色んな思いもあった、しかしまずそんなことよりも思ったのは僕たちと契約してくれている日本中の職人さんたちの生活である。

コロナ禍に入った時僕はうちのメンバーに「休業しようと思う」と伝えたこともあった

メンバーも賛成してくれて、全員に休業手当を支払って半年くらいひっそりとコロナが過ぎるのを待っていようか。。。そんなことも考えていた、しかしそれだと僕たちから仕事を受けてくれている職人さんたちの生活が滞る事になる。

これじゃダメだ、今耐えているだけじゃダメだ。

僕たちだけではなく、僕たちと仕事をしてくれている職人さんたちのためにも僕たちが止まってはいけない。

そう決めて難しい業界に進むことにした。

コロナで色んなものが変わってしまったけれど、全国の職人たちの当たり前は変わっていない。

朝起きてご飯を食べたら、ラジオをかけてミシンに乗る。

ミシンをカタカタと走らせ気がついたら昼前だ、昼食を済ませて夕方までカタカタとミシンに乗る。

月末は納期が近いから夕食を取ってからミシンに乗るか、夕食を遅くして遅くまで仕事をするだろう。

こんな”当たり前”を当たり前に続けていく責任が僕たちにはあると思っている。

これが僕たちがB2Cに進もうと決めた理由である。

職人さんの生活を、当たり前の生活を守りたい。

僕たちの商品を買ってくれているお客様には一切関係のない不要な情報である。

それでもこれは事実であり、日本の職人とともに僕たちは生きているから、伝えたいと思うのだ。

捨てようと思う当たり前

商品開発をするにあたっては今までの”当たり前”は捨てようと思った。

アパレルの会社だからアパレルじゃなきゃいけないとも思わなかったし、もっというと洋服でなくてもいいと思った。

それよりももっとこのコロナ禍で当たり前と当たり前の間に新しい空間が生まれていると感じていたからそこを埋めるようなプロダクトを作りたいと思っていたのだ。

そこでまず作ったのはポータブルガウンである。

これは当たった、医療用ガウンを作ったノウハウを活かして医療用ガウンに近い性能を持ちなおかつ簡易的な雨具として使用することができるガウンである。

旅行用や人混みに入る際に着用することができるので、スポーツ観戦などに使用できる。

実際にプロサッカーチーム奈良クラブのメディカルチームでも使用していただいている。

クラウドファンディングのmakuakeでも200万円近いご支援をいただいた。

https://kazokuya2b.theshop.jp/items/35767583

そしてそこからどんどんと新商品を出していった。

医療用と言われているガウンをより一般化させようとしたのだ、例えば通常ガウンを着ないようなクリニックやサロンでもガウンを着用することでお客様にいい印象を与えることができるかもしれない。

僕たちはガウンをどんどんとデザインしていった、女性が着ても可愛くなるようにドレスガウンを名前をつけてガウンというよりワンピース?というような商品を作った。

そこで沢山のお客様の声を聞いた。

そこで生まれたのがネイルサロンやハンドメイド作家さんに着ていただける長袖エプロンドレスである。

https://kazokuya2b.theshop.jp/items/37238447

医療用ガウンとしても使用できるスペックでありながらワンピースのようなデザインで可愛く着ることができる。

同時に医療用ではあり得なかった黒色などの色を展開していった。

元々私服にエプロンを着ていることが多かったのだが、袖口が汚れてしまったり削った爪などで私服が汚れてしまうことから割烹着が好ましいとされていた、しかしネイルサロンに割烹着は少し。。。と言われていたのだ。

そこに医療用ガウンを変形させた長袖エプロンドレスを投入したのだ。

そうしたところ沢山のネイルサロンさんからご購入やお問い合わせをいただいた。

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医療用ガウンは”医療”でしか使えないのだろうか?

そんな素朴な疑問から生まれたアイデアだった。

ガウンってパーツだけ見たらワンピースみたいだな。そんな単純な遊び心もあった。

ガウンは病院で着るもの。

そんな”当たり前”を捨てることで沢山の方に使っていただけるようになった。

変えたいと思う当たり前

この数ヶ月で僕たちは加工業から製造加工業へと変わってきている。

自分たちで守りたいと思う人たちを自分たちのアイデアや実行力で守ることができるようになってきた。

同時にお客様からの困りごとを自分たちで聞きながら商品開発をすることができるようになってきた。

とても悔しいのだけれどこれはやっぱり新型コロナのおかげだろうと思う。

新型コロナがあったから守れる”当たり前”があって、新型コロナがあったから変わるべき”当たり前”がある。

僕がこれから変えていきたいのは”当たり前”そのものである。

服作りをする職人は服作りでしかご飯が食べれないのか?

そもそも僕たちは服作りを生業としているが、服作りでしか生きていけないのか?

世界中には沢山の困りごとがある。

そんな困りごとを解決することが僕たちの使命であるとするならば、その困りごとのために自分たちが”当たり前”にとらわれることなく変わり続けていく必要があると思うのだ。

コロナ禍は本当に大変だ、まだまだ続く。

だけど自分たちが守りたいと思うものを守るために、自分たちが変わらなくてはいけない、そして自分たちが持っている技術は自分たちが思ってもいない場所で求められているのだ。

当たり前を疑え

当たり前は自分を弱くするだろう。

僕たちが作っているこの長袖エプロンやガウン、ノースリーブエプロンは全て日本の職人さんたち、僕たちが守りたいと思う職人さんたちと共に作っています。

そしてその職人さんたちには自宅で縫製をしていただいていて、この商品を縫うときは最低時給1200円を確保できるようにしています。

ぜひガウンやエプロンなど、お手に取ってみてくださいね。

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