日本の洋服の生産量は年々減っていて、現在販売されている衣類の中で日本製は2%しかなくなってしまった。
そんな話はいろんなところで聴くようになった。
いろんな人がいろんな意見を言って、いろんなところで議論になっている。
その事実自体が関心を持っていただいているということだし、とてもとても嬉しい。
なぜ僕が嬉しいと思うか。
それはやっぱり日本製の製品の当事者であり、どんな衣類をみても色眼鏡なしでは見れないからだと思う。
僕がかけている色眼鏡
僕はゴリゴリの色眼鏡をかけています。
それはやっぱり実家が縫製工場であり、幼少期からの遊び場は工場であったから。
保育園のバスは母が経営している縫製工場の前に停まっていたし、そのバスから僕も兄も姉もみんな降りてきてそのまま工場に行ってお手伝いしていた。
当時のお手伝いの代表はなんと言っても芯貼りだろう。
みんなも経験しているはずだ。(してない)
遠出と言ったら母が親戚の岐阜の縫製工場に行ったり、大阪の本町にメーカーさんのところに行ったりするのをついていくくらいで、そこでもアパレル関係者や工場関係者に会うことが多かった。
それから20年以上経ってこの業界がジリ貧になってる。
それを知って「20年前からこの業界全体が儲けに走って人や文化を育てなかったのが悪い」と自分もいうのだけれど、それは当事者だから言えることで、
全く別の業種の人がそれを言ってたら少しイラッとしてしまう。
明確に業界に肩入れしてしまっているわけだ。
だって当時の母の姿はとても儲けに走っているとは思えずに本当に貧乏だった。
メーカーは雲の上の人で言うことは悔しくても絶対だった。
子供ながらにメーカーの人が工場に来るときは「きちんと挨拶しなきゃ」と意識していた。
なんだ、この業界は奴隷制度でもあるのか?
そんなこと思ってた時期もあった。
とにかく僕はこの業界に対して色眼鏡をかけている。
それでも日本製じゃなきゃいけない理由はない
勘違いしないで欲しい。
僕がかけている色眼鏡は「日本製が素晴らしい!」というものでは決してない。
例えば「日本製」と書かれた商品をみて「ぜひ買いましょう!」と言うことはありえないし、本当に日本製か?日本製と言うからにはクオリティが高いのか?海外製品ではいけない理由は?
など様々な目で見ている。
僕は今の会社を起こしてから一貫して言っているの「日本製じゃなきゃいけないものなんてほとんどない」と言うことだ。
だって実質賃金が下がっている日本において何にお金を使うか(使えるか)は非常に重要であるし、日本製が海外製品に比べて安ければもちろんいいのだが、残念ながら日本製の商品が高い。
一部の高級服を除いて普段生活するにあたって必要な洋服は日本製でなくてはいけない理由なんてない。
例えば口に入れるものだとやっぱりそれは日本製の方がいいんじゃないか?と思うし、土壌的に日本で育った方が美味しいものだったりすると多少高くても日本で買うメリットがあるだろう。
例えばベビー服とかだと赤ちゃんのお肌でトラブルが起きないためにたくさんの制約があり、日本製である価値もあるかもしれない。
しかしそれ以外のほとんどの洋服はやっぱり日本製である理由はあまりない。
日本製であって欲しいのは願い
日本製である理由がなくなってきた今「日本製」と言う言葉がとても広い定義になっているから少し想像しにくい。
例えば商店街にある豆腐屋さん、多少高いのだけれど自分たちで大豆を仕入れてきて毎日豆腐を作っている。
近所にスーパーができて価格的には勝てない。
そんな豆腐屋のオヤジさんに「スーパーの安い豆腐に負けないくらい美味しい、もしくはそれに付随する合理的理由がある豆腐を作って適切なプロモーションを行って販売しましょう」
なんて言ってもできないんだ。
理屈としてはそうなのだけれどできない。
多くの顧客はスーパーに行って豆腐を買う。
と言うか豆腐を買おうとスーパーに行っているわけではないので他の食材を買うついでに豆腐を買う。
豆腐だけを買うなら豆腐屋でもいいけど、他のものも買って重い荷物持ってわざわざ豆腐屋まで行くのが面倒くさいからスーパーで買う。
豆腐屋は「味」でも「価格」でもなく「めんどくさい」に負けて売れなくなってしまうのだ。
そんなこととは知らず豆腐屋のオヤジは「何言ってんだ、旨い豆腐を作るんだい」といい豆腐を作る。
でも売れない。
こんなことが縫製業でもどの業界でも起こっている。
僕はこんな状況がとても悲しいなぁと思ってしまう。
そしてこれを読んでなんだか想像してみた方は同じように「悲しいなぁ」と感じてノスタルジックな気分になってくれる人もいるかもしれない。
でもやっぱりその豆腐屋は長くないと思う、気にかけている誰かがたまに
「そういえばあの豆腐屋さん最近どうかしら」
と思って買いに行って数百円買って帰る。
しかし豆腐屋は誰かの「最近どうかしら」で経営が成り立つわけではない。
どこかのニュースで見た「昔はよく行ったのに潰れてしまって悲しい」という遊園地と同じだ。
経済的に合理性を持った日本製を販売できるメーカーは少ないだろう、それに伴って縫製工場もかなり厳しい状況になっているだろう。
その人たちが少しでも報われるように変えていきたいと思うのだが、
その思いはもはや「願い」になってしまっている場合が多い。
「どうか皆さん、日本製のものを買ってください。お願いします」
なんの合理性もない、ただの願いだ。
だが残念ながらそれじゃ売れない。
「最近どうかしら?」なのだ。
日本製でもなくても欲しいプロダクトを作る
この問題を解決するために僕は「日本製」である。
と言う囚われを捨てることにした、元々ヴァレイだから欲しい!と言うブランドも捨てようと思っていたのだが、そもそも日本製であることも捨てるべきだった。
日本製であることを捨てると言うのはもちろん海外製にするという意味ではなく、日本製である合理的理由以外の「寂しい」とか「かわいそう」とかを排除することだ。
徹底的にクオリティにこだわり、距離とかコミュニケーションとか、言語とか、納期とかロット数とかそう言った合理的な理由で日本製を選ぶことにした。
だってそうでなくては売れない。
もしくは売れても続かないから。
僕たちは日本製である時点で「価格」と言うビハインドを追っている。
海外製品は本当に安い、そしてクオリティも高い。
ロット数でも海外でも10着から服が作れるようになってきた。
ロットでもクオリティでも差がなくなって今、僕たちが勝てるのは純粋に人として勝負すべき「企画力」なのではないだろうか。
そう結論した。
素晴らしいプロダクトは真似されて流行る、真似される前に次々と「え、良い!」と言うプロダクトを作り続けること、それに尽きるのではないだろうか?
日本製だから欲しいんじゃない、「良い」から欲しいんだ。
それが偶然日本製であるのだ。
僕たちはそう決めた、そしてそれを実行するのはもちろん日本の職人さんたちがなんだか笑顔で人生を終えてもらいたいから。
そして子供たちが「日本で服作りしても面白いじゃん」って言える環境を整えたいと思っているから。
だから日本製に拘らず、めちゃくちゃ日本製に拘っている。
不思議なものづくりだ。
宣伝
宣伝をさせてください。
僕たちは上記の思いを持って日本でガウンの製造を行っています。
現在新型コロナが三度拡大している中で医療用ガウンや予防衣はたくさん出ている。
しかしそんな中直接感染症が関係のない医療機関、例えば歯科医とか耳鼻科とか、
接骨院だとかそう言った場所でもどんな人が来るかわからない。
だから予防はしなきゃダメなんだ、でも医療用ガウンってなんだか怖い。
見た目が普通に怖い。
それをデザインした、可愛いガウンがなかったから。
洗って使えるガウンなので1回の使用単価も80円くらいで抑えられる(50回洗濯可能)そんなガウンをぜひ導入してみて欲しいと思います。
日本製 可愛い Aラインドレスガウン 【ネイルサロン・歯科・医療で感染症対策に。ネイリストの撥水長袖エプロンとしても大活躍!】
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日本製 可愛いⅠラインドレスガウン 【ネイルサロン・歯科・医療で感染症対策に。ネイリストの撥水長袖エプロンとしても大活躍!】
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もちろん、日本製です。
(言うんかい)