収入で計れるものはごくわずか
僕はあまり収入に関して話題にしません。
それは実力イコール収入ではないし、
東京で家族4人暮らしでの年収1000万円と、奈良県で2人暮らしでの1000万円って全く異次元の格差があるし、
「収入」という絶対評価では計れない価値の方が多いと思っているからです。
だから「収入」がその人を判断する基準ではない。というのは前提として伝えておきます。
その上で、
自分自身の”とらわれ”が自分自身の可能性を大きく下げていることになるんじゃないか?
そう思っているのでわかりやすい「収入」という言葉を使って”とらわれ”と表現したいと思っています。
「とらわれ」と「ブレない」の違い
“とわられ”はwikiでは
固定した価値観や考え方に拘束されること。
ということでした、
つまり自分の考えが固定化してしいまうことですね。
それは「ブレない」に繋がるんじゃないか?
と言う方もおられます、
僕が「考え方にとらわれてるなぁ」と思う人は自分自身で、
「俺はブレないんだ」とか「誇りがあるんだ」などのいう言葉の置換を行います。
僕が考えている”とらわれ”と”ブレない”の差は、
固定化されるものの距離感だと思っています。
イメージとしてはスタート地点が固定化されているのが”とらわれ”
そしてゴール地点が固定化されているのが”ブレない”です。
スタート地点が固定化されること、つまり自分の立ち位置が固定化されることで見える景色は一定化してしまいます、つまり選択肢も固定化されます。
そのため思考停止が起こり、進める道が狭まってしまいます。
例えば「自分は自動車がないから自転車で旅に出る」と言う選択肢しかない場合、海外はおろか沖縄にも北海道にも行けないかもしれません。
ゴール地点が固定化されている状態(ブレない)は行きたい場所は決まっているが方法は決めていない状態です。
この場合はゴールに向かうためにあらゆる可能性を考え、結果として目的地に着けばOKなので可能性が広がります。
例えば世界一周して日本に戻ってくると言う目標設定があれば、
もちろん徒歩、自転車、自動車、飛行機、船、ロケット、ヘリコプター、おんぶ
どんな選択肢もできます。
この例を書けば「なるほど、俺は後者だ」と言う人がたくさんいます、
自分は「とらわれていない」だからあらゆる可能性を試しているんだ。
そう言う人がとても多いのです。
しかし実は結構”とらわれ”は厄介で、カビ菌のように「あれ?まさかこんなところに」と言う場所にまで潜んでいるのです。
“とらわれ”はまさかと言う場所に蔓延っている。
イヤアクセなどを製作されるクリエイターさんにお会いしました、
手刺繍という技術を使って、装飾品を作っています
1点1点時間をかけて作るので全てが1点もので、金額も数万円します。
それでもそのクリエイターさんは「1人1人のお客様を最高に輝かせてあげたい」という想いを持っていました、
その方は「イヤアクセ」にこだわっているわけではなくいろんな商品を展開してます、
しかし市場を見つめた時にアクセサリーや、ハンドメイドなどはすでにレッドオーシャンで埋もれてしまう、時間がかかる商品だから価格も高くて売れない。
というのが課題で、
そのクリエイターさんは次の一手として「和服」と合わせるように作品を展開しよう、メンズでも使えるアイテムになどと考えてらっしゃいました、
この時点で「イヤアクセだけじゃない」や「ハンドメイド市場だけでない」「洋服ではなく和服」「女性ではなく男性」などいくつもの”とらわれ”を脱ぎ捨てていると思います、
しかし僕はまだ不十分だと思っていて、こんなアドバイスをしました。
「刺繍のアクセサリーが装飾品であるという”とらわれ”をなくしましょう」
初めはその作家さんも、
「え?なにこのおじさん何言ってるの?」みたいな感じでした。
そりゃそうですよ、
何万円もするアクセサリーは「装飾品」以外の何物でもなくて、
「必需品」であるわけはない、
普通はそう考えます。
でも僕は和服であろうと、メンズであろうと「装飾品」である時点でライバルは多すぎると思ったのです、
だから「必需品」として刺繍のアクセを売ろうと考えました。
提案したのは、
補聴器です。
補聴器は必要な方は必ず付けないと生活ができない、
高齢者であればなんとなくわかるけれど、難聴などがありお若くしても付けなければいけないかたはそれを「ハンディキャップ」として感じている可能性があります。
しかしそれを「難聴だったおかげで付けられた」と喜んでもらえるほどのおしゃれなイヤアクセだったら?
幸い金属が多くてごちゃごちゃしたら肩が凝りそうだけど、
刺繍だったら生地と糸でできてるからとても華やかで、それでいて軽量でした。
試しに調べてみると補聴器のおしゃれな装飾のもので刺繍を施したものはありませんでした。
この時点で競合はなく、自社だけが圧倒的な価値を提供できる可能性があるのです、
そして「一人一人のお客様を最高に輝かせる」というビジョンにもマッチングしています、
自分の「ハンディキャップ」と感じている部分がアイデンティティとしておしゃれを楽しむことができるんですから。
この話は1つのアイデアにすぎませんが、
「売り先」や「商品」などに対する”とらわれ”は結構簡単に取り払うことができます、「顧客」もそうかもしれません、
しかしそのものが持つ「常識」をどこまで脱ぎ捨てられるか、
それはとても難しく、何度も何度も自分自身で向き合って、
いろんな人に会って「”とらわれ”てないか?」と自問自答し続けなくてはいけないのです。
「とらわれ」が収入を下げる
とらわれることが収入を下げる。
僕はそう思っています、それはいろんな原因があると思いますが、
その1番は「自分の価値」を決められた枠の中にとらわれてしまうと思うからです。
確かにその職業での最高年収は調べると出てくるかもしれません、
例えば「中学校の先生」の最低は地方の公立小学校の新任教師かもしれません、
最高は「海外の私立中学校の校長先生」かもしれません。
確かにその枠でいうとそうなのですが、
「目的」と「手段」が間違えているかもしれません。
“とらわれ”と”ブレない”でも書いた通り、
「先生」でなければいけない理屈はありません、
なんのために「先生」になったのか、その目的(ゴール)が見つかれば枠を取り払うことができます。
「先生」という職業がフェチズム的に好きなのか、
「子供たちと向き合って教育して、明るい社会を作りたい」という目的のために「先生」という職業を選んでいるのか、
前者の場合はまた違う方法があるかもしれませんが、
後者の場合は「学校の先生」である必要はありません、
教育者を教育するサービスを展開できるかもしれませんし、
民間で塾を作ることもできるかもしれません、
家庭教師を派遣する会社をすることができるかもしれないし、
もっと別のサービスを起こすこともできるのです。
要は
「子供と向き合って教育という観点で社会を変える」という目標のためなら手段はなんでもいいのです。
そして手段である「職業」という枠を取っ払った瞬間にその職業での「収入」に縛られることもなくなります。
経営者が全てではないにしても、
「教育を通じて世界を変える」という目標の会社を起こすとすると、
経営者というジャンルでみると数億、数百億円の役員報酬を取ることもできるようになります。
(一応お伝えしておくと、今の職業にいることが悪いというわけでは全くありません)
“とらわれ”を脱ぎ捨てることは怖い、けど楽しい。
“とらわれ”を取っ払ってしまうと、
視野が急に広がります、
そしてめちゃくちゃ怖くなります。
それは自由すぎるからです、人はルールや職業、役職など「定義」があることで安心しています。
マズローの欲求5段階説の中にも
所属の欲求が出てくるほど(第3欲求)所属することに人は欲求があります、
だから「何者でもない状態」というのはとてもとても怖いのです、
経営者や挑戦者が”とらわれ”をなくしたとき、
とても自由を感じます、しかし同時にめちゃくちゃ怖いのです。
(ちなみに僕もめちゃくちゃ怖いです、当たり前です)
しかし、
自分の業界や業種や周りからの目や、生き方や全てからとらわれることが無いように、心がけるとできることは圧倒的に広がります。
そしてめちゃくちゃ楽しいです。
二回言います、
めちゃくちゃ楽しいです。
僕はビジネスをする人だけでなく全ての人に”とらわれ”を無くしてもらいたい、そしてもっともっと面白い世界を見てもらいたい、
そして苦しんでもらって、
そのさきで笑ってもらいたい、
そんなことを思っています。
今少し伸び悩んでる人や、面白くないなぁと感じる人はその都度
「とらわれてない?」
そう聞いてみてくださいね、
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