負けたら嫌だ、だけど負けから学ぶものが多い
僕は負けることが嫌いじゃない。
いや、
本当は大嫌いだ、
むちゃくちゃ悔しいし、負け惜しみも言いたいし、言い訳したいし、
不満をぶちまけてやりたい。
恥ずかしいし、
情けないし、
結局注目もされない。
だけどその感情をプラスにする方法を僕は知っている。
その方法は一つだけ、
めちゃくちゃ悔しがることだ。
そして努力し、
思考し、
結果を残すのだ。
そして這い上がった時の気持ちを知っているから頑張れるし、
また強くなれるのだ。
そして「負け」は決して「終わり」ではない、
「失敗」も「終わり」ではないし、
ましてや「挫折」なんて全然「終わり」ではない。
命が尽きる終わり以外の「終わり」は全て自分で決めることなのだ。
だから、終わらなければ「続く」
だからこの「負け」というのはとてもいい経験になったのだと思う。
だから僕は負けが嫌いじゃない。
敗因の分析
とはいえしっかりと負けました、
負けたので敗因の分析をやっておかないと何も意味がない、
早速帰ってメンターに電話した、
メンターはしっかりと生中継を見ていてくれて、言い訳をぶつぶつという僕の話もしっかりと聞いてくれて、そしてしっかりと客観的に意見をくれた。
敗因① 自分ゴトに持ってくることができなかった
僕のピッチは「皆さんはどんな服が好きですか?」から始まった、
この台詞の意図としては
「誰でも服を持っているが、その持っている服が世界にどんな影響を与えるのか知っているか?そしてそれを選んでいる自分に罪悪感はないか?」
という問いに変えるために、次の台詞で
世界での衣類廃棄問題の大きさ、日本での廃棄の現状などを語ったのだ、
つまり自分とは無関係だと思っているファッション問題は「自分ゴト」なのだと伝えたかったのだ。
しかし、
それでは足りなかった、アパレルに精通している人は服を意識して買っている人ならまだしも「なんとなく」で服を選ぶ人からすると、
他社競合のピッチで出てくる「介護」「障害」「人口減少」などの
誰でも「自分ゴト」にできる内容ほど「自分ゴト」に持っていけなかったのだ、
そして自分ゴトとして聞けない話に人は共感しないわけだから、
それからどれだけ語っても無意味だっただろうな。
つかみで失敗した。
次回からはもっと「自分ゴト」として感じられるワードを選ぶとしよう。
敗因② 数字的データが足りなかった
僕は今回数字のデータをあまり入れなった、
それは通常のピッチではなく日経新聞が主催していること、審査委員もそれなりの人たちがくるわけだから、
このファッションというビッグマーケットのある程度の数字、例えば2025年までアパレルは3.6%くらいの数値で成長し続けるマーケットであることや、世界で300兆円あるマーケットであること、
SDGsの数値などの情報は重ねての説明になるだろうから、
入れてもあまり意味がない、それよりもそれに挑戦する意義や、意味、
そして変わる世界を伝えた方がいいと判断した、
そして語った、
僕が数字やビジネスモデルで伝えたことは全体の1/4の分量だった、
だがそれも間違いだったようだ、
数字で固めるピッチなんて意味がない。そう感じて資料を作った僕のミスだった、
1つ誤算だったのは無観客試合だったこともあった、
数字を語らなかった理由の1つが
ピッチの順番が後半になるであろう可能性からお客様が疲れてきていて、
そこでつらつらと数字を語られても頭に入ってこないだろう、
そう思っていた。
だから資料をほぼしようせず、演台もしようせずにピッチしたのだが、
それも敗因に入るだろう。
修正しよう。
敗因として大きかったのはこの2つだろう。
次回からのピッチに活かそうと思う。
やめなければ終わりじゃない、そして失敗は成功の元なのだ。
負けて感じた感想
ここからは僕の個人的な感想(意見)が多分に入っているだろう、
だから不快な思いをする人もいるだろう。
「言い訳ばっかりしやがって!」という人もたくさんいるだろう。
だからそう思われる方は見ない方がいいかもしれない。
まず最初に感じたのは「こんなにも伝わらないのか」だった、
正直悲しかった。
悔しいよりも「悲しみ」の方が大きかった。
やっぱりアパレル業界という衣食住の中でもより「娯楽」要素が多いジャンルの中で緊急性がないと感じられているのだと感じた、
例えば年間30億着が流通しおそよその半分が新品廃棄されている日本で、
その廃棄によっての環境負荷がどれほどのものなのか、
そして海外生産により国内の生産が2.3%になり、
職を失った職人が大量にあふれていること、
今回のコロナのこともあり海外で生産できないことがどれほどの影響になるのか、
しかしそれが「自分ゴト」にはつながりづらいのが日本という国なんだろう、と感じた。
(もちろんピッチの実力の問題があるので審査委員の方を否定したいわけではない )
全てが温暖化の影響ではないにしろ、
今まで年間10〜100種類の動植物が絶滅していたのが、現在では年間で40,000種類の動植物が絶滅していると言われています。
そして自然は失われ、子供達がみる海は汚れ、
異常気象が起こって住む場所が侵されています。
オーストラリアでの森林火災や、
何十年に1度の大雨が日本でも毎年起こり、
たくさんの人たちが命を落としています。
実際に少しずつ自分たちの生活に影響を与え出している環境汚染や人権問題に対して、
あまりにも大きな課題から「自分ゴト」になりづらいのだ、
そして特に日本はG7の中でも圧倒的に環境問題に関心のない国だ、
少し前に某大企業の取締役と話をしていて、
ESG投資に対して考えを聞いたところ
「やりたくないけどやらなきゃだめ」だと答えてくれた。
そう、
やりたくないのだ。
環境のことは「儲からない」ということだった、
服の廃棄は「燃やせるからいいじゃないか」とも言われた。
その時も僕は本気で悲しくなった。
どうしても日本という国は環境問題を後回しにしたいらしいのだ。
今回のピッチの全てがそれが原因ではない、
先に書いたように負けた要因は僕の中にたくさんある、
しかし負けてからずっとピッチ中に感じた「ずれ」や「空回り感」はなんなのか考えていた。
負けた後に慰めてくれた審査委員の方もいらっしゃったのだけど、
その中でも違和感を感じた、
質疑応答にも違和感を感じた、
僕たちが目指す姿が間違えているのだろうか。
そうも考えた、
でもやっぱりそこで感じた「ずれ」の原因は土の違いだと思ったのだ。
土が違うと花は咲かない。実らない。
繰り返し書くがこの大会を否定しているとか、審査委員さんたちを否定しているのでは全くもって違う、
僕自身の言い訳の一つだとして受け止めてもらっていいだろう。
花が咲くには土が必要だ。
(今は土がなくても育つ!なんて議論は置いておいて)
そしてその土にはアルカリ性であるとか酸性であるとか、
粘土質であるとか、
石灰質であるとか、
砂利が多いとか、微生物が活発であるとか、
様々な条件が揃っていないとその土地の花は咲かない。
もちろんそこには温度や湿度の問題も多いだろう。
つまり「環境」が揃っていないと咲かない花は一生咲かないのだ。
そして無理やり温室を作って咲かそうとすると咲くこともあるだろう、
しかし咲き乱れることはできないのだ。
日本人の美徳として「置かれた場所で咲く」というものがある。
自分が今置かれている環境で咲かなくてはいけない、
そしてそこで起こる困難を受け入れることで成長することができる。
それはもちろん素敵なことなのだけれど、
僕はやっぱり環境がいい場所で、その土地にあった花を咲かせたいと思うのだ。
僕の経験則から、
僕は高校が苦手だった、将来のためになるとは思えない勉強を毎日やるのは嫌だったし(僕は工業系だったがエンジニアになるつもりがまるっきりなかったので)
「我慢すれば身につくこともある」と言われ続けたが、
我慢して身につけた技術を活かせるのは我慢しなきゃいけない環境だろう。とも思っていた。
だから僕はやめたのだ、
やめはしたが終わらせたのではなく「別のことを始めた」だけである。
逃げた。というのであればそれでもいいかと思う。
少なくとも別のことを始めた、そして僕は芸能の世界に入って、
最年少でNHKでディレクターをやったし(当時NHKの方に言われただけなので本当かは定かでは。。。)
18からそれなりにフリーランスとして仕事をしてきた。
自分には「いい土地」だった。
そしてオーストラリアに行った、そこも自分には合った土地だった。
個性を否定する人は誰もいなかったし、
自分なんて地味な方だった。
好きなよう生きた。
そして咲いた花は今の自分を作っている。
何が言いたいかというと、
世界でこんなにもスーツを愛し、誰もがスーツを着て働いている日本で、
環境に全然興味がない日本で、
僕の花は咲かないかもしれない。
そう思ったのだ。
で、どうするのか。
僕は現在のビジネスを海外に展開しようと考えている。
これからますます拡大するファッションビジネスの中で、
大量に廃棄することはできるだけ避けたい、だから間違いなく世界でも小ロット生産が主流になる、もしくは需要は高くなっていくだろう。
だから、僕は海外に行くことにする。
もちろん日本の職人さんたちとも仕事をしたい、
本拠地は日本に置くし、今まで以上に国内にも力を入れていきたい。
しかし、少なくともピッチは日本ではやらない。
僕の才能や、熱量を活かせる土地で勝負がしたい。
僕は世界で服づくりを小ロット化させることにする。
前々から考えていたことだけれど、
決断するいいきっかけになった、僕は世界に羽ばたくし、
家族にも伝えてる。
92回アカデミー賞でメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞したアメリカ人のカズ・ヒロ氏が受賞インタビューで言った、
“Sorry to say but I left Japan, and I became American because I got tired of this culture, too submissive, and so hard to make a dream come true. So that’s why I’m living here. Sorry”.
この言葉が浮かんだ、
こんなことを言うのは申し訳ないが、僕は日本を出た。
そして、とても従順で、夢を叶えるにはとても難しいこの文化に疲れてしまってアメリカ人になった。
だから今私はここにいるんだ、ごめんね。
(僕が訳した、解釈した内容)
僕は自分が活かされる環境で自分を試したい。
日本で「自分を認めさせる」ことに意味はない。
僕がやりたいことは、
自分の娘に、孫に綺麗な地球を見せてやりたい。
そしてその時も自分が好きな服を着ていてもらいたい。
それだけなのだ、そのために僕はいかなる障害も乗り越える、もしくはすり抜ける。
わざわざ乗り越える必要のない壁には挑まない。
自分の花が咲ける場所に、飛んでいくための羽を僕は持っている。
勇気も持っているのだ。
だから、
ごめんね。
僕は世界で勝負します。
とっても、
とっても、
素敵ないいきっかけを与えてくれた大会でした。
そして最後になりましたが、
とてもたくさんの方が応援してくれて本当にありがとうございました。
DMやメッセージ、コメントなどたくさんいただきました、
帰ってきて会社では職人さんも手を止めて応援してくれてたみたいで、
本当に泣きそうになりました、
そして、
勝てなくてごめんなさい。
でも、やめない。
世界を変えるから。
もう少しお付き合いくださいね。
そして挑戦しようと思っている全ての人に
あなたの挑戦を応援します、
そして、
負けても、やめなきゃ終わりじゃない。
自分が一番咲ける場所に行こう。
自分を信じよう。
自分をその土地へ飛ばす羽が生えている。
そして後は勇気だけだ。
僕も世界で頑張ります。
一緒に頑張りましょう。
あーーーーーーーーー
めっちゃ悔しい!
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